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apo (id:MANGAMEGAMONDO) が妄想を吐き出していきます。

グァテマラ日記(16)

松の谷で聖人たちに会う

シェラからバスで1時間でトトニカパン*1に着く。なぜここに来たかというと、インディヘナのコミュニティや陶磁器、織物の工房を訪ねるガイドツアーがあって、マヤの儀式も見ることができるらしい。そこで到着と同時に、ガイドツアーやワークショップを主催しているカサ・デ・クルトゥーラ*2を探したが、工事中だった。パルケ(公園)で適当な男性に尋ねたがわからない。非常に親切だったんだけど。そろそろ市が立ち始めたパルケを横切って見つけた大きめのホテルで「地図はない?」と聞いたら、カサ・デ・クルトゥーラにありますよ、と言われて「よかった、その場所がわからなくて困っていたのです」。やっとここで移転先を教えてもらう。なんとバスターミナルまで逆戻りだ。

バスターミナルのところに、あるにはあったのだが、今日はあいにくお休みだった。でもノックしたら、人がでてきてくれて地図ゲットできた。「マヤ文化に興味があるのです」と言ったら、非常に親切にワークショップで作る仮面だとか、祭りのときの写真だとかいろいろ見せてくれる。そこで「マヤのセレモニーをやる場所はどこですか?」と聞いて、地図にしるしをつけてもらって、さあ出発だ。

ツィッテに導かれて出会った聖人

これが結構、遠かったのだ。サンダルではキツイ。親切なセニョーラから「この先にある教会の後ろよ」と教わったけど、その教会までがまずスゴイ坂。どのくらいスゴイかっていうと、坂の途中にある一般家庭で、ジュースとかお菓子を売ってて、一休みしていく人がいるくらい。そして教会を見つけたんだけど、その先は散歩とかトレッキングという生やさしいものではなく、もう登山だ。野性のカンで「上だ」とわかったのだけど、登っていったら上の村の学校に着いてしまう。これって生活道だったのか。しかたなく、近くの畑を耕していたセニョールに「儀式をやる場所を知りませんか?」と尋ねたら、非常に親切に「知りません」と言われ、カラダがビールを求めだす。まあ、ココまで来た、近くまで来たってことに満足しようじゃないか、と下山開始。登ってきたのとは違う側から降りていったら、ツィッテを見つけた。それを拾いながら歩いてたら、サンドロに遇った。

山ではたいていビクビクしている。人がいないのも怖いが、どんな人に遇うか、それもまた怖い。何しろ誰も観ていないのだ。何をされるかわからない。そう、カバー*3でもそうだったし、マヤパン*4でもそうだった。

サンドロは山の上の村の住民ではなく、松の木を植えて、面倒を見ている林業家だった。やっぱりとっても親切で、のんびりしてて、スペイン語もわかりやすかった。しかもサンドロ(聖人)という名前なのに、それでも怯えてしまう。この人がいつ襲ってくるかわからないと思うと。

でもツィッテに導かれてサンドロに遇って、幸運だった。サンドロは“その場所”を知っていた。さらに、儀式についても知っていた。仕事に行く途中で、わざわざ遠回りして、そこへ連れて行ってくれた。

サンドロに限らず、グァテマラ人はリラックスの仕方がうまい。いつでも仲間としゃべってるし、バスの中で熟睡しちゃうし、歩いていても疲れたら道ばたの日陰にどっかり腰を下ろして休む。サンドロと山を歩いているのは楽しかった。apoの様子を見ているのか、それとも彼のペースかわからないが、休むのに適した木陰があるたびに小休止して、おしゃべりし、そして「ヴァモス!」と適当なところで先をうながしてくれる。だのにapoったら、小休止のたびに怯えていたのだ。疑ってしまったことが恥ずかしい。

カサ・デ・クルトゥーラでは「今日は儀式はないと思う。たいていは月・火・水だから。でも、もしかしたらやっているかも知れませんけど」と言われた。ところが、サンドロに連れてきてもらうと、まさに儀式の最中だった。来る途中で「ホラ、匂いがしない?」「ああ、甘い香りね。その花なの?」「違う、インセンテ(お香)だよ」「儀式で使うコパルとか?」「そうそう、あとお砂糖とか……」って話してたけど、まさか今、やっているとは思わなかった。

そこで儀式を行っている人たちの姿を見ると、サンドロは声をひそめて「戻ろう」と言う。「ここから下へ降りていける道があると言ったけど、ここからその道まで、儀式をしている横を通って降りて言っちゃいけない?」と聞いたら、「今は上へ回ったほうがいい」と言う。

チチカステナンゴで会ったサセルドーテ・マヤのトーマスは「ブルヘリーアはない」と言った。ラミレス家のマードレを冥界銀行10000ドル札で騙した中国人を「呪っちゃえば?」と言ったら、彼女は「それは非常に悪いこと。してはいけない悪いこと」と言っていた。でもサンドロはハッキリこう言った「祈りは2種類だけだよ……善いことか、悪いことのどちらか。だから、近づかないほうがいいんだ」。チチカステナンゴのパスクアル・アバフの山で見た儀式*5の“開かれた”雰囲気と違い、トトはもっとミステリオッソだ。地元の者であってもアンタッチャブルな、外界からの介入を許さない“閉じた”世界なのだ。

サンドロの話では、ここの他に、向かいに見える山の中にあるサン・ミゲルと呼ばれる場所、それから別の山を指さして、あの辺りにもこういう場所があるという。「ケツァルテナンゴにもあるはずだよ」、チチカステナンゴのフアンもそう言っていた。だけど、シェラではapoがモノを知らなかったり、コネクションを作るのが遅くて、マードレと旅行会社以外のサセルドーテ・マヤに会えなかったのだ。

習慣よりスーペリオールが大切と説くイザヤとエドワード

サンドロと別れて下山すると、足がプルプルしていた。とにかく早くビールを供給しないと死んでしまう……とぶらついていたが、なかなかシックリくる店がなく、教会の前で9歳の男の子が店番をしている屋台でGalloを飲む。この子もまた親切でていねいで、そして働き者だ。学校のない土日は、ここで働いているのだと胸を張る。「うちの家族はみんな働いているよ。お母さんはバスターミナルで食堂を出しているし、お父さんはここの他にも別の店があるし、お姉ちゃんはアメリカのヒューストンで働いているんだ」。ああ、この子の写真とっておけばよかった。

そのあと戻ってきたこの子の父親のイザヤ(発音は違う)と話す。聖書のこと、経済のこと、ついついビールが進んでいく。3本目はこの話に入ってきたお客さんがおごってくれる。「イザヤは聖人の名前を持ってるからね、ホントに信心深いんだ」と、かなりご機嫌になってるお客さんは言う。そこで何でマヤの人々はキリスト教(プロテスタントでもカソリックでも)を信仰しながら、儀式も行うのかという話になった。
「たしかに儀式は、生活の一部です。でも、それがすべてじゃありません。大切なことは一つのスーペリオール(卓越した存在)を知ることです。サン・シモンは奇跡なんて起こしませんよ。私たちの身の回りには神の奇跡がたくさんあるじゃないですか。山、木、空、星……これは神だけが起こした奇跡です、サン・シモンじゃなくてね」。

心の給油は終わったけど、エネルギーはまだなので、ご飯を食べに行くね、といってお別れする。市の屋台にするか、食堂にするか決めかねて、定食屋の看板を見てたら「うちにいらっしゃい」と声をかけてきたのがエドワード(発音は違う)だった。「ビールある?」「ないです。お酒はよくありませんよ、セニョリータ」「うーん、わかりますけど、ビールないンじゃ困るなあ」「わかりました、買ってきてあげますよ」と飛び出していってしまう。

このイギリスで珍しい懺悔王と同じ名前を持った定食屋(市が立つ日だけオープンする)ダンナも、信仰に真摯な人だった。「信仰がないからお酒で迷ってしまう人がグァテマラには多いのです」。だけど、熱い煮込みに黒いトウモロコシで作ったモチモチのトルティーヤを浸して食べながら飲むビールは格別だ。「あなたはお酒で迷ってないからいいのです。ちゃんと食べてる。私たちは兄弟だから、お互いのことを知ることは大切です」それから小一時間、そこに姉妹(彼の妻)も加わって、兄弟の相互理解に花が咲く。「えー、ワタシもルイス・ミゲル好き!!」「ダヴィド・ビスバルのCD買ったよ! 『アヴェ・マリア』サイコー!」「クリスチャンのニッポンの恋人(遠距離恋愛を歌ってる)の歌もいいよねー」「あなたは遠くに住んでるけど、私たちはこんなに近くにいるんです。これはすごいことです。やっぱり私たちは兄弟なのです」

グアダルーペと温泉に入る

メルカードを歩き、大衆浴場のアグア・カリエンテへ裸の交流を楽しみに行く。ここは男女混浴で、男性はパンツ一丁、女性はストーンとしたブカブカの湯浴み用のワンピースみたいなのを着て入ってる。ビキニだったので、一目でガイジンとわかりやすいapoのことを、地元の人がいろいろ世話を焼いてくれる。「荷物は自分が見えるところに吊して置かなくちゃだめよ」とか、ドーム型になってる中が源泉だから「こっちに来てあったまりなさい」とか。そんなセニョーラの一人がグアダルーペだった。メキシコの黒いマリアと同じ名前を持つこのセニョーラは、「コモ・エス・ラ・グラシア?」と名前を聞いてくれた。感動。

以前、東京でスペイン語の話せるイギリス人に練習台になってもらってしゃべっていたとき、名前をいちばんていねいな言い方で聞こうと思って、こう言ったら「ナニ、ソレ?」とバカにされた。もう、今では使わない、古い言い回しなのかもしれない。だけど聞き方からし性善説を信じてますってニュアンスがなんとなく好きなのだ。「ご尊名は何とおっしゃるの?」ってカンジ。この村にぴったり。

実に愉快だし、お肌はすべすべになったけど、お湯の中でカラダを洗うもんだから、湯は石けんで濁り、ヘチマの種がボロボロ流れてる。そこでみんなで小さな洗面器でお湯をかけあう。洗面器を持ってないビンボーなapoにはグアダルーペはじめみなさんがかけてくれる。「このお湯は薬ですもの」。

親切でていねいな人の多い松の谷にあるトトニカパン、好きだなあ。唯一ここでウザかったのは、温泉からパルケへ帰るバスを待っていて会った、英語の下手な男2人組だった。たぶん、グリンゴに教わったんであろう、レロレロした英語が気色悪い。そのレロレロっぷりで「どこへ行くの?」とつきまとってくる。最後は「一人にしてよ!」と振り向かなかった。

「シェラに住んでる」と言ったら、コイツらは盛んに「シェラは遠い」を連発してた。バスで1時間ちょいだけど? たしかに山をいくつも越えるのだから、十分に遠いのだろう。でもapoがコイツらと遠く感じるのは心の距離だ。カッチョエエ運ちゃんが連れてくる、遠くから来たガイジンが物珍しくて、つい、つきまとってみたくなる、それはわかる。だけど、ガイジンに誘惑されて迷ってるヒマがあるなら、イザヤやエドワードみたいにちゃんと教会に行って、迷わないグァテマラ人になってくれ、そう思った。

*1:正式名称はSan Miguel Totonicaán、通称:トト(Toto)。ケツァルテナンゴから行く場合、ミネルヴァバスターミナルではなく、ラ・マリンバ像(Monumento a la Marimba)のあるロトゥンダ(Rotunda)バスターミナルから直通のバスが出ている。標高2500m/人口9000人の谷に広がる村で、仮面と伝統の装束で動物や神を演じて踊る民族舞踊が行われる夏期のお祭りで有名。市が立つのは火曜日と土曜日。地図

*2:Casa De La Cultura Totonicapanese/トトニカパン文化センター。ガイドツアーのほか音楽やダンス、料理のワークショップやホームステイしながらマヤ文化に親しむコースもある。

*3:メキシコ、ユカタン半島にあるマヤの遺跡。トゥルムから内陸に車で2時間くらい入ったところ。地味な存在で発掘がそんなに進んでおらず、周辺には文字どおり手つかずの自然が残っている。

*4:ここもユカタン半島メリダから車で1時間くらい。パヤパンはかつてマヤの都にもなったことがある歴史的には重要だが、遺跡としては残っているものもわずか。地下水が枯れた洞窟がある。訪ねる人はほとんどいない。

*5:2/9チチカステナンゴ追記(id:MANGAMEGAMONDO:20040209)参照