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apo (id:MANGAMEGAMONDO) が妄想を吐き出していきます。

そっか、ここはアタクシによるアタクシのためのアタクシのボヤくページだと今日、思い出す

3月に父を見送ってから、ずっと福島の家に行けてない。
とはいうものの、悲しみに浸っているわけでもない。
上手に介護をする人はたくさんいるだろう、実際、うちの薪の師匠の奥様のテル子さんは、婚家で舅姑を見取り、姑から生前に「お前のことは死んでも絶対に見守るからな」と感謝の気持ちを述べられたという。

個人的にはあまりいつまでのこのあたりをうろちょろすることなく、とっとと浄土へ行ってほしいと望むけれども、それはまた別のお話。

まあ、そんな血も通わぬ親から褒められる人もいるから、アタクシがしたことがどうとは思わない。けど、できる限りはやった、もっとああすれば、こうすれば、お金があったら、時間があったら、とは思わないくらいに。そのときできることはやったつもり。むしろ、いっしょに遊びに行けば褒められる、おいしいものを食べれば褒められる。地域の人、遊びに行った先で行きかう人からいつでも褒められて、力をもらった。めっちゃ感謝したい。楽だというほどうまくはできなかったけれど、楽しかった。

とはいえ、父がいなくなって、すっかりごはんをつくる意欲も意味も失ってしまったし、またそのタイミングでお弁当箱を失くしてしまったことで(お弁当は味も見栄えも介護ごはんの練習だったから)、3月以降、「料理する」って行為をやめちゃってたんだけど、アルバイト先の同僚のどうしようもない食生活を見かねて4月にお弁当を再開して、今に至る。まるで父のように毎回喜んでくれる同僚に感謝だ。彼女は自分で料理はしないけれど、手をかけたポイントをなぜかわかったうえで、称賛してくれる。めっちゃ、承認欲求が満たされて癒される。

枝豆をゆがく、その前にあら塩でこする。鍋を火にかけて沸騰をまちながら。父が枝豆やトウモロコシを茹でるときは畑に行く前に鍋をかけていけって言ったからだ。まだ脳梗塞で倒れる前、言葉を失ってなかった元気なころに。それを、今日、枝豆を茹でていて思い出す。たぶん忘れない。何を忘れても。

そんなことを書き出す場所でもいいのかなと思った。もう悲しくはないんだけど、毎日思い出すことが多すぎてさ、ごはんつくってると。ただババアになっただけ、かもしれないけどね。

はてな記法わすれてしまって、見出しのつけ方わかんないのでこのまま。

冬季パラ五輪のアルペンスキーメダリストの村岡桃佳選手が夏の東京パラ五輪陸上をめざすとのこと。さっきテレビ東京で見た。
https://www.parasapo.tokyo/featured-athletes/muraoka-momokasportrait-web.com

あれ、橋本聖子が冬・夏五輪制覇めざすってときと似てるぞって思った。長野の後、自転車に転身したんだけど、選考会のレースで当時の日本ナンバーワンの女子選手にぶっちぎりで勝ってて、橋本聖子がすごいっていうより、ポッと出の新人に容易く負けちゃう日本チャンピオンってどうなの?って正直批判めいた気持ちで見ていた。スポンサー企業もついていたアスリートだったしね。

村岡選手もだいたいそんな感じでぶっちぎり優勝してたんだけど、今日はこのニュースをあのときより温かい好意的なものとして受け取っていたことに驚く。村岡選手がもとから車いす陸上していたからとか、橋本聖子がキライだったとか、そういうのもあるかもしれないけど。

いや、違うんだよね。
人間、努力とか根性とかだけでない何かってあるんだな、やっぱりって思う。ならば、好きな方向しか向けないしやりたくない。努力って、好きなことにだからこそ、楽しいと思えることにだからこそ、できるものであって。そのとき人は努力を苦痛とは思わなくなれる。

いやいやトレーニングしているとか、好きでもない競技に打ち込んでるとかで、勝てる世界じゃない。ほんとうに好きで楽しくて喜びなのね。だとしたら、そっちが勝負だよね。どこまで好きになれるか。そこに何を見出すのか、「他人からよく思われたいから」とか「稼ぎたいから」とか、他人任せじゃない評価がそこにあるんだろうなと思って。当時の橋本聖子にも。

アタクシは今、そういう「本気の好き」からもしかして遠ざかっちゃってるかもしれないって、ちょっと思った。反省はしないけど。どうしたいのか、よく考えてみよう。