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apo (id:MANGAMEGAMONDO) が妄想を吐き出していきます。

汽水域で思うこと

子どもの頃から、イソップ童話のコウモリがどうも憎めませんでした。戦争でそのとき有利なほうにつきながら、最後はどちらからも嫌われてしまう。どっちつかずで八方美人のご都合主義の卑怯者。だけど「あっち」にも「こっち」にも行けるうえ、「どっち」にも行かないことだってまたできる。そのポジションってイイじゃん、と。20歳を過ぎて「汽水域で生きていたい」と言い始めたのも、それが尾を引いていたのかもしれません。
もしかしたら、3年前に東京と福島の二重生活を選択したのも、そんな子どもの頃の思考と無関係ではないような気がします。

自給率アップとか農業再生とかの話を読んでたら
「都会のねずみと田舎のねずみ」の話を思い出した

当たり前ながら、都会と農村での「食」や「農」に対する大きなギャップを目の当たりにするわけです。その価値観とか、スケールがまるで違います。
野菜は基本的に地産地消です。あるいは自産自消。どの村にもたいてい産直野菜の販売所*1があるし、スーパーにも地元農家の売り場があって、それがまた、安くて美味しい。最近は、都市部でも野菜の値段が下がってきたように思いますが、白菜1玉100円か150円、大根は葉っぱつきの立派なのが1本80円とか100円。しいたけの大袋入り(スーパーの5パック分くらい)で200円。これから出るタケノコもデカいのが200〜300円です。しかも、デフォルトで朝獲り。庭先でできるもの、親戚・近所から回ってくるものがあるので、2人家族1週間で数百円もあれば十分、もしくは買わずに済んでしまいます。
当たり前のことながら、都内ではそうはいきません。

豊かさとつくる喜び

あるとき、福島の家で里芋をむいていると、父から「もっと厚くむいていいよ。なんてったって生産者だからな(笑)」と言われました。もっと大胆にいけ、可食部を少しでも多く残そうとチマチマしなさんな、というわけです。もちろん、売り物ではありません。でも「家で獲れた、自分で作った」という誇りや、実りの豊かさを実感していたのだと思うし、それをアタクシにも感じて欲しかったのでしょう。

ちなみに、福島の家の前の敷地はプロの農家さんの畑なんですが、あるとき父が杉の木を伐採したとき、計算ミスでその畑へ倒れ、作物をつぶしてしまったことがあります。それで謝りに行ったときの言葉にシビレました。

お天道さま相手の仕事に“100%”はないから

だから、気にしなくていいよ、と言うのです。

都内に住む友人で、もうベランダ中に菜園を造ってそれで飽きたらず、都民農園を借りてる人がいるけど、そういう貸し農園って今、いっぱいだそうです。2年ごとに更新で、次に待っている人がいるから出なくちゃならない。そうなってくると、お天道さま相手でも、失敗は許されません。できることは限られてしまいます。

その点、福島ではやり放題。「100%はない」から安心してリスクも冒せます。アタクシが父の指導を受けて造ってる菜園はまだ小さいんですが、いろんな「実験」をするのって実に楽しい。どの作物をどうやって植えようか、組み合わせのイメージやら相性やら何やらかにやら。

プロの農家さんは、もっとダイナミックな「実験」をされているんじゃないかと思います。うちの近所のご老人がたも「飽きない」とおっしゃる。

だから、id:anhedoniaさんのこのエントリーを読んだとき、「アタクシが爺さんだったら、ゼッテー譲らない。譲りっこないじゃん」と思いました。

実りは暦です。この時期、これを味わう幸福。味わえるプライド。そして、クライマックスを迎えるつくる喜び。さらに、それを人に味わってもらう養う喜び。

そういったものを簡単に手放すわけがありません。

都会のねずみは田舎のねずみにツメタイだけじゃない
甘い幻想も抱く

このテーマのを芋づる式に読んだなかで、id:sivadさんの「農業再生てのは〜」が整理されてて中立的、って思ってブックマークしたんですわ。ただ「チャーハンじゃあないでしょ〜、蕎麦か芋煮。せめて豚汁にしていただきたいわ」とは思いましたが。それはさておき、そのブクマでid:anhedoniaさんにいただいたコメントによると、

オラ、ド田舎の兼業農家だっちゃ 消防団も青年会もちゃんと勤め上げたっちゃ

とのこと。これは失礼しました。そしてお見それしました。な〜んだ、十分に熟成されたいいオサーンだったのですね(愛)。

id:anhedoniaさんは新しいエントリーで「同情するなら金をくれ」的主張をされていますが、アタクシは、そこがいちばん可能性があると思いますの。あ、月刊『農業経営者』の「農業のイメージアップ」ってのはアホだと思いますけど。id:sivadさんのおっしゃる「インフラかビジネスか」であれば「どっちも(はぁと)」。ですが、どっちが先かっていえば、ビジネス。

でも提供するのは、作物や製品ではなくて、農家さんが実感する豊かさや幸せや喜び。「もっと、やりたい」「つくってみたい」都会の人と農作物や農地をマッチングするんじゃなくて、つくるプロセスや実りの喜びをシェアするってのはありじゃないかしら、と。

観光牧場とか観光農園もありますけど、それより、もう少し生活密着。一部の酒蔵が酒造米の田植え・草刈り・稲刈りをイベントを開催してますが*2、そういうの。従来の就農体験って、肝心の喜びの部分がない感じがします。「お百姓さんのこんな苦労で、お米や野菜はできるんだ!」みたいな。それはそうだけど、お金を払ってでも、したくないです、苦労は。まして、感謝なんて「しろ!」って言われてするものでも、できるものでもありません。

だけど、喜びならば話は別です。やりたい人、土にふれたい人ってけっこういるんですよね。アタクシの友人の奥様がたも、うちに来ると、子どもたちより先に木登りするし、焚き火したがるし、畑耕すし。そこらへんに生えてるもの、ありがたがって食べてます。「今年は梅仕事したいー」とか張り切っちゃってるし。それだけじゃなくて、癒しとしての「園芸療法」なんていうのもあります。そういうことを考えたとき、受け入れる側のインフラは必要になってくるでしょうけど。

田舎のごく当たり前の日常の一部って、都市部の人にとって、娯楽になるんじゃないかなと思うんです。アタクシはコウモリ派だからもちろんだけど、「いいとこどり」するなら徹底的に、「農の喜び」まで味わいたいじゃないですか。

――そんなことを妄想してました。今週半ばからの薪ストーブ生活を考えながら。

*1:最近は、名物をうまくつくって観光スポットになってるところも。道の駅もけっこう流行ってるし、高速道路のサービスエリアでも野菜売ってるところが増えた。ちょっと高めだけど。

*2:限定販売のお酒が買える無償のものから有償のものまでさまざま。