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apo (id:MANGAMEGAMONDO) が妄想を吐き出していきます。

ライブドアvsフジの攻防でUWF騒動を思い出す

ホリエモン、おもしろい。今、アタクシが地上波で観るのはほとんどホリエモン関連だ。連日ニュースからワイドショーでまで懇切丁寧に株式用語を説明してもらった日本国民(もちろんアタクシも)は、この1か月でかなり経済について学習させていただいたのではないだろうか。

そのテレビに出てくるキャスターやコメンテーターの、ことにホリエモン批判だとかニッポン放送社員の(ホントウだとしたら)ホリエモンアレルギーだとか、ツッコミたいところは満載ではあるけれど、このフジVSライブドアの攻防を観ていて思い出したのは、UWF旗揚げのときの騒動だ。

もしかすると、とっても若い人は「UWFってナニ?」って人もいるかもしれない。だけど、そんなとっても若いアナタだって“総合格闘技”って言葉は聞いたことがあるでしょう? 年末に紅白の裏でやってた(それも2局も)、アレだ。その“総合格闘技”という言葉をメジャーにしたのが今は亡きUWFという団体だった。

それは新日本プロレスの内部分裂が発端だった。エンターテイメント性よりも、もっと素朴に「どっちが強いのか?」という“ストロング・スタイル”を標榜する新日*1がゴールデン・タイムでの視聴率維持のため、エンタメ重視路線に移ってきた*2ことに嫌気をさした選手たちが、新団体を設立し、そこに猪木をも合流するという、つまり新日を捨てるクーデター作戦だったと報道された。

ところが、猪木もカネも動かず、第一次UWFは空中分解する。蜂起した一部のメンバー、前田日明高田伸彦山崎一夫*3は新日のマットに不本意ながら帰った。そして「常勝チャンピオンなんかいらない」と反旗を翻した彼らは暴れた。

ホリエモンの時間外ニッポン放送株購入は「違法じゃないけど脱法」と言われたが、同じようなことが、このとき新日マットで起こる。

ロープに振られたら、帰ってくるのがお約束のプロレスで、彼らだけはいくらロープに飛ばされても動かないし、戻らない。視聴者にとっても、相手選手にとっても、これは鮮烈だった。しかも、マジで関節技をキメるのだ。このとき、プロレスファン(少なくとも新日の視聴者)は、学習する。「関節技はキマったら、ガマンできるもんじゃない」と。地味な関節技より、人間風車(ダブル・アーム・スープレックス)やブレーン・バスターで盛り上がっていた当時、これは衝撃だった*4。マジで相手がいやがることをする、「プロレスに筋書きナシ!!」「真剣勝負(セメント)だ!!」とスポーツ新聞は書き立て、プロレスファンの間でU肯定派かU否定派かに真っ二つに分かれる“社会現象”をも引き起こす。

商売的に「盛り上がってたから」という理由かもしれないけど、フジと違って新日は彼らをまるっきり拒絶したわけではない。おかげで、今でもこのときのDVDを販売してるし。片や、二大プロレス団体のもう一方の雄・全日本プロレスジャイアント馬場は高見の見物を決め込んだ。ナニもしなかった。若いUWF戦士らの動きを、止めもしないし、勧めもしなかった。ただ「つまらない」と言っただけだ。

そうして新生(第二次)UWFが旗揚げされる。道場を用賀に構え、月イチで興業した。これは売れなかったからでなく、ハードなストロングスタイルでは、連日興業など耐えられないから、という理由で。当時「テレビ放映がなければ団体経営は不可能」といわれた業界にあって、新生UWFのチケットは発売数十分で売り切れ、“プラチナ・チケット”と化し、新幹線や飛行機で試合会場に遠征する“密航者”が続出した。

このあと、関節技の鬼・藤原喜明や船木優治(現・誠勝)、鈴木実らが合流し、「プロレス最強路線」を踏襲していくものの、ファイトスタイルやおカネの問題から分裂に分裂をくり返し、藤原・船木・鈴木は藤原組*5を、高田・山崎はUWFインターナショナル*6を、前田はリングスを、立ち上げた。この3団体のうち、今、残っているものはない。

しかし、93年にK-1が始まったのは、格闘技ネットワークを目標に設立されたリングスが築いた各国の格闘家へのコネクションと、正道会館の参戦があったからだ。団体は割れたし、当事者が儲かったかかどうかとはいえない。しかし、閉塞感のあったプロレス/格闘技が「スポーツ・エンターテインメント」の一大コンテンツに昇華したことはまちがいない。シロウトでも、立ち技(打撃)系・組み技系とか言うようになった。UWFがなければ、グレーシー家はじめ、ミルコ・クロコップアンディ・フグが有名になることも、『格闘技通信』や『ゴング格闘技』が創刊されることも、元横綱にカムバックの舞台が与えられることも、そして、もちろん大晦日に2つも格闘技イベントが放映されることもなかっただろう。

今では語られることもなくなったが、第一次UWFの黒幕には元新日の新間寿氏がいたといわれる。もう一人、新生UWFとリングスの旗揚げにかかわったとされる前田の恩師、田中正悟先生(とてもハンサム)はどこへ消えたのか?

今の、総合格闘技を取り巻く状況や、業界で表舞台に立ち続けている人の顔ぶれをみれば、ライブドアvsフジの攻防で今後起きそうなこと、残るのは誰かが占えそうな気がする。ハズレたらコワイから書かないけど。ただ、当時、起こったプロレスに対するファンの意識変化や、今、徐々に変わりつつある大衆の経済とのつき合い方/向き合い方を見れば、それ、つまり「リングの上でロープに飛ばない」ことが、どんなに“掟破り”であれ“正しい方向への一歩”であることに間違いないのではないだろうか。

*1:とはいえ「プロレスに世界で初めて台本を使ったのは猪木」といわれ、それがWCW(現WWF)へ“輸出された”といわれるくらいだから、それも定かではない。

*2:長州の「オレは藤波のかませ犬じゃない」発言以降の反乱。しかし、これは「五対五」をはじめとする新日における名勝負を生んだ。

*3:ちなみに、このとき船木優治(現・誠勝)はヨーロッパ遠征中だった。

*4:ブレーン・バスターもスープレックス(投げ技)の一種だし、前田が「七色のスープレックスを持つ男」と言われただけあって、滞空時間の短いスープレックスをバリバリかましてたが、エンタメ性が高いとは当時は言われなかった。なのに破壊力があるから嫌われた。

*5:のちに船木と鈴木が脱退し、パンクラスを立ち上げ、藤原組は消滅。

*6:のちにプライド・高田道場の立ち上げへ。