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apo (id:MANGAMEGAMONDO) が妄想を吐き出していきます。

萌ルピエロ

土曜日に朝までノンストップトーク(アタクシ、途中崩壊)した王子部録の岸田さんから教えてもらった、秀逸なサッカーブロッグぐだぐだセリエAで「憂鬱のデル・ピエロ」にインスパイアーされた。

イスタンブールでアタクシは同行のマダームとガゼッタ・デロ・スポルトを購入して情報収集に励んだりしていたのだが、そこに新日本プロレスのイタリア興業の広告を発見し、「えー、コレマジ? 猪木を新日の広告に出してもいいわけ?」とか、さんざんっぱら疑ってた。

東京に帰り、プロレスの師匠にそのことをさっそくチクったら、「あー、今、猪木は新日本に戻ってるから、それは問題ないのよ」とのお答え。しかも「イタリア興業もマジで行ったのよ。棚橋とかのローマでナンパ大作戦とか、『ワールドプロレスリング』で放映もされてたわよ」という。衝撃だったのは「で、デルピエロってさー、新日ヲタだったのね。ホラ、ユヴェントスが来日してたときがあったじゃない? あのときね、番組ジャックしてたわよ」。デルピエロが新日好きらしいと小耳に挟んだ新日本&テレ朝が、ダメもとでデルピエロに『ワールドプロレスリング』に出演交渉してみたらしい。するとデルピエロは「えー、ホント? わー、マジ、うれしー」と二つ返事でオッケー。30分でまったく試合が行われない番組になった。成田空港で新日本からプレゼントされたタイガーマスクをかぶってた写真がユーヴェのオフィシャルサイトに掲載されたりしてたので、それは知ってる人も多いはず。

件の放送を師匠がビデオに撮っておいてくれた。アタクシにとって猪木は神であったので、初恋の人は藤波辰巳(当時)だった。プロレス小僧のアレックス少年もそうだったらしい。けど、それを知って、うれしいどころか、ドン引きした。『ワールドプロレスリング』は罪だと思った。

昔のビデオを見て目をキラキラさせて、これは誰、これは誰とフルネームで名前を言い当てるデルピエロ。「学校から帰ってきたら、毎日観てたんだよー。番組が終わると、友だちと庭に出て、技掛け合ってたー」。そこに憧れの人、藤波登場。熱い抱擁にウットリ。「フジナミさんが試合に出るなら、ボク、日本に来るよー」「さっきハグしたカンジなら、まだまだいけるよう」と熱烈ラブコール。しまいにゃ、「技を教えてあげましょうか?」という藤波に、「まず、ボクにかけてー」とおねだり。太い腕に巻かれて、脇にがっちり挟まれたハンサムなお顔を歪めてデレデレしてました、なんて、とてもここに書けなかった。

同じことをモリ男がしてたら、微笑ましく「バカですね〜」って喜んで書ける。でもデルピエロはいかんだろ、デルピエロは。目尻下げてデレデレさせちゃ、ダメなのよ、デルピエロは。それが、たぶん、すずきさんの言う“ブランド”なのだと思う。

ただ、そのブランドはあくまでも“ユーヴェの”だ。トッティが“ローマの王子”であるように、スペインの至宝であるラウールが“ベルナベウのマタドール”であるように、そして本来、ベッカムが“マンうーの”であったように、デルピエロは“ユーヴェの申し子”だ。どんなにヘボくなってしまっても、“ネドヴェド先生のユーヴェ”には成り得ない。ミッコリは「オレかアレックスかどっちかを選べ」と迫り、「ホラよ」と放出された。主張は正しかったが、身の程知らずが過ぎた。

移籍市場に衝撃:カッサーノがユーヴェ、デルピエロがミランへとか、たしかに報じられていて、それは、デルピエロの“ブランド力”が試されてるというか、“ブランド力”の低下が疑われているのだと思う。毎年夏に(モリ男サポ的に正確にいえば、“あの夏”以降に)移籍が噂されながら、動かないラウールと同じように、デルピエロにも“ユーヴェのデルピエロ”であり続けてほしい。たとえ、デルピエロが移籍してきても、すでにマルディーニという“伝説”があるミランは、“デルピエロミラン”には成り得ない。

「落日の闘魂は見たくない」と言われても、猪木は新日本で選手生命をまっとうし、いろいろ言われたり派閥を作ったりもしたがドラゴン藤波も移籍はしなかった。出た人もいるし、ことに今は出る人が多い。そんなオルタナティブな道が多いからこそ、より強力なメインストリームに、不動なるものに憧れる。メインストリームを歩める人はそう何人もいない。選ばれし者なのだ。どんなことになっても、デルピエロにはメインストリームをまっとうしてほしい。加えてラウール、トッティにもそう思う。

ま、アタクシの好みのタイプじゃあ、ない。でも、世の中が好みのタイプばっかになっても、やっぱり困るわけで。