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apo (id:MANGAMEGAMONDO) が妄想を吐き出していきます。

古の龍神様

ブックマークに入れようかと思ったけど、分類・整理が難しいのでこちらにメモ。富士北麓にある富士八湖*1の一つ、明見湖(あすみこ)の辺に、龍神様の小さな社がある。「明見之龍神」という産土の神

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↑ここまで拡大しないと表示されない小さな湖に龍神様が住んでいる。見つけるまでにものすごい時間をかけてgooglemap上で富士山麓を歩きまくった。

そこに村のために犠牲になった美女と黒猫の悲しい伝説があった。ここに出てくる「丸と付く地名の村」とは明見のこと。最後に出てくる老婆の歌「われは悲しや あすみの里を はなれつく 寒川のきし……」*2に登場する寒川神社(河口/相模湾から7km)へは、明見湖にも流れ込んでいた相模川の源流、桂川(山中湖)の流れを辿れば行き着く。寒川神社を祀った寒川一族は鎌倉幕府側ではなく、地元の首長だった。さらに、富士古文書(宮下文書)は別名、寒川文書と呼ばれ、寒川神社のルーツにも深く関わっている。*3

後日談、マメガキの末路。こうして伝説は葬られていく。龍神はいつまで生きているだろう。

*1:富士五湖(山中湖・河口湖・西湖・精進湖本栖湖)+明見湖、四尾連湖、泉津(湖)。富士講富士登山のあとに八湖を巡るのが大切な修行とされた。習志野市富士山と八湖をめぐる-文化11年「富士山道中日記帳」その2」より

*2:龍神を鎮めるため、草履の鼻緒の色で神主が占って選んだ娘を生贄として毎年、捧げていた。鎌倉時代、武士が龍神の眼に矢を放って退治。この生贄にまつわる童歌が明治まで伝えられた、という別の龍神伝説もあり。

*3:田打ち舞でかぶる面(「神奈川における徐福伝承」より)なども。富士古文献は『神皇紀(じんのうき)』というタイトルで出版されている。徐福大山阿夫利神社とのつながりも。