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apo (id:MANGAMEGAMONDO) が妄想を吐き出していきます。

『ダ・ヴィンチ・コード』にマジギレのフィスクおじさま

気まぐれにロバート・フィスクの記事をアップしたハズミで、レバノン関連のフィスクの記事の原文を全文読めるサイトのリンクを集めてたら*1、フィスクおじさまが映画『ダ・ヴィンチ・コード』を激しく罵ってる記事を見つけた。

ゴッド! ここまでヒドイとは。反同性愛、反離婚の対空砲撃手として有名なローマ法王猊下が激昂し、私を鞭打ちかねない。ここまでローマ・カトリック教会を退屈に描けるとは驚きだ。たしかに「ローマのわけわかめ言語」で年老いたとっつぁんがカトリック教会の儀式がどんなものかについてよくしゃべっていたけれど、それはこの映画で描かれているような不気味なものではない。この映画の人気は、キリストへの関心の高さでなく、人々の宗教への信頼のなさとウケ狙いのナンチャッテ神がかりストーリーの必要性を表している。それじゃあ、黒魔術じゃないか。

わー、脳味噌がマッチョな正しいお父さんが怒ってますよー(萌)。

ダ・ヴィンチ・コード』では、フランス警察の暗号解読担当官ソフィーが、天上から地上に伝えられたイエス直系の血筋であることが判明する。彼女の聖なる父が背負ってきた聖痕をしぶしぶ受けて映画は終わる。ナチス・ドイツにRAF(ドイツ赤軍派)がとってかわるみたいに。人気映画? バカな!

設定もクソもあったもんじゃない。ヴェルディは存命中も現在も変わらないほど愛されている、それが人気というものだ。(超訳ぎみ)

でも、これ、フィクションで娯楽ですから、おじさま。ハリウッドとオペラを並べては、それこそ味噌も糞も一緒じゃあありませんか。

お怒りはごもっともなんだけど、『ダ・ヴィンチ・コード』や小泉首相の“人気”には、罪を上回る功績もあると思う。宗教や芸術、政治を大衆の手に戻した、ってことで。頭がイイ人にしかわからない世界から降りてきて、庶民があーでもないこーでもない言ってもいいんですね?ってとっつきやすさができたのは幸いだと思う。だって、少なくとも無関心じゃなくなるじゃない。どんなに悪い目だって、注目する目、監視する目はたくさんあったほうがいい。有能な人が一人で校正するより、たとえアタクシのような「ザル校」や「抜け作」でもチェックする人間の頭数が多くなればなるほど、校正の精度って上がるもんだし。戦いは数だよ、兄貴。

ただ、『ダ・ヴィンチ・コード』に関しては、おじさまとは違う大きな理由でアタクシ的に観る気ゼロ。なぜってヒロインを助けるデキるんだかデキないんだかわかんない象徴学の教授にトム・ハンクスってのは、いくらドル箱スターだからって、ミスキャストだ。映画はどうだかわかんないけど、小説では、最後にフィレンツェに行くってことになってフィレンツェでは、美術館も博物館も行かないわよ、って女が宣言する。「フィレンツェに一週間も行くのに、美術館も博物館も行かないなんて何しに行くんだ?」ってっこの教授に尋ねられて「ホテルにおこもり(はぁと)」って女が答えるんだよね。で、そのときですよ、トム・ハンクスとおこもりって、全然ドキドキしないじゃん、アットホームすぎて。イメージは、そうね、アタクシの好みならば今よりちょっと若い頃のサム・シェパード。うーん、ミッキー・ロークラッセル・クロウだとセクシー過ぎるかな。でも、トム・ハンクスより老いても、ハリソン・フォードとかリチャード・ギアだな。デンゼル・ワシントンモーガン・フリーマンもいいかな。あ、フィスクおじさまでもオッケーでございます。

*1:まったくもってクソなIndependent有料化だこと。