スクラップ:漆間氏
■5日の“オフレコ”懇談の要旨:
自民党議員に事件が波及する可能性はないと思う。あの金額で違法性の認識を出すのは難しい。請求書でもあれば傍証の一つになるが、それだけで立件はないと思う。よほど証明できるものがないといけない。民主党の小沢一郎代表の件は、検察がもっと有力な証拠があるから立件できると踏んだのだと思う。■9日の参院予算委員会:
「政府高官が自民党に捜査が及ばないと発言した」との記事に驚いた。発言を記者がどのように理解したかは分からない。真意が伝わらない形で報道された。多くの方にご迷惑をかけて誠に申し訳ない。官房副長官に就任してから検察側と接触したことはない。今回の件について捜査の情報を持っていたことは全くない。新聞報道で知った。■9日の記者会見や参院予算委員会での発言要旨:
私の記憶では(..)特定の政党や議員について捜査が及ぶ、及ばないと言った記憶はない。(..)検察の中立性や公平性を否定する発言はしていない。私と私の秘書官の記憶を突き合わせたが、そういう発言はしたことがないという記憶になった。私の記憶と(記者の)みなさんの記憶に基づいてつくられた記事に食い違いがあり、どちらが正しいと申し上げるつもりはない。認識の問題だ。
(自らの進退について)任命権者が辞めろというならそれに従う。(..)
基本的に私の真意が伝わらない形で報道された。一般論としても捜査について話すのは大変誤解を与える。ご迷惑を掛けたことをおわび申し上げたい。
(47トピックス「漆間巌・官房副長官の発言要旨」共同通信より)
- 関連:47トピックス「漆間問題の新聞社コラム」共同通信
政府高官は6日夜、(..)「一般論として(献金などの)違法性を認識していたことを立証するのは難しいと説明した。自民党に捜査が及ばないとは言っていない」と記者団に釈明した。
(北海道新聞3/06)
政府高官が西松建設の巨額献金事件に絡み「自民党に及ぶことは絶対ない。金額が違う」などと発言した
(日経新聞3/06)
朝日新聞朝刊39面に、「自民議員の立件 政府高官『ない』」との見出しの記事がある。(..)
これは漆間巌内閣官房副長官の発言であると、複数の記者さんが私に言ってきたが、この漆間発言は検察が嫌がることで、藪やぶをつついて蛇を出す様な話である。
(ムネオ日記2009年3月6日(金))
民主党参院幹部は7日午前、(..)「自民党に及ぶことは絶対にない」とする政府高官の発言について、(..)「発言した政府高官を特定しているわけではないが、漆間氏といわれているので事実確認する」とも語った。
政府高官が発言をしたのは、名前を伏せて報道する条件で実施した5日の記者団との懇談。
(日経新聞3/07)
「自民党側は立件できない」と発言した政府高官は6日夜、改めて記者団の取材に応じ、「一般論として、違法性の認識の立証がいかに難しいかという話をした。『自民党側に捜査が及ばない』とは言っていない」と発言を否定した。一方、民主党はこの政府高官を元警察庁長官で官僚トップの漆間(うるま)巌官房副長官とみて、週明けの国会で追及する。(..)
朝日新聞はこの高官に身分を公表するよう求めたが拒まれた。(..)
また新党大地の鈴木宗男代表は6日夜のBS放送の番組で、「漆間氏が『自民党に発展しない』と言うことがおかしい。権力側が裏でつるんでやってるという話になる」と実名を挙げて批判した。
(朝日新聞3/07)
――言ったか、言わなかったか断言できないのか。
メモも取っていないし録音もない。もし私の記憶に誤りがあれば(事実と)違うのかも知れない。――報道が誤ったという認識か。
報道の皆さんの記憶と私の記憶のどちらが正しいかということだろう。皆さん方も(懇談で)メモを取らずに後で、それぞれの記憶に基づいて(私の)発言を再現したと思う。(どちらの記憶が正しいかは)私自身が判断する話ではない。――懇談で私(TBS記者)が「自民党の議員にも(捜査は)及ぶことはないか」と聞いた。それに答えた記憶は。
直接、政党名を挙げて聞かれた記憶がない。――記者団はほぼ全員が発言があったと記憶し、副長官と秘書官は記憶がない。あまりにも不自然だ。
不自然か不自然でないかは分からない。私は、もともと一般論としてしゃべっている。一般論としてしゃべっている人間と「自民党に及ぶか」と聞いている人とは記憶に差があるのだと思う。――一般論でも、捜査情報を得ているのではと受け取られかねない。
余計なことを言い大変申し訳ないと反省している。私の真意が伝わらない形で報道され、多くの方に迷惑をかけた。(読売新聞3/10)
20人もの記者さんがいる中で、TBSの記者さんが「自民党の議員にも及ぶことはないか」と、自民党という具体的な政党名を出して聞いていることは明々白々なのに、「直接政党名を挙げて聞かれた記憶はない」と述べるとは、あまりにも無理があるのではないか。
(ムネオ日記2009年3月10日(火))
漆間氏は9日の参院予算委員会で「真意が伝わらない形で報道された」「誤解して受け取られた」などと釈明し、麻生太郎首相も一時、「オフレコの懇談の内容が誤って報じられている」と誤報であるかのように語った。首相はその後、「誤報」部分こそ撤回した(..)
発言者の名を出さない約束のうえでの発言でも記者は直ちにメモを残す。ところが、漆間氏は「質問の記憶もない」「ないという記憶になった」と不可解な説明までしている。
(毎日新聞3/10)
いま、漆間巌官房副長官のオフレコ取材の発言が問題になっている。(..)
軽率な話である。取材現場にいた多くの記者が「自民党に捜査が及ぶことはないだろうという見通しを述べた」と聞いているのに、それを否定する漆間氏。
(AGORA紀伊民報3/10)
漆間氏は記者懇の慣例に従い、背景説明の一環として「一般論」という形で「自民党議員…」の発言を行ったとされる。(..)
漆間氏は匿名を前提に「背景説明」を行った(..)
ところが、河村建夫官房長官が翌8日のフジテレビとNHKの報道番組で問題の発言をした高官は漆間氏だったことを自ら認めてしまったのだ。「このままでは国会を乗り切れないと事態の収束を図って名前を出してしまった」(政界筋)との見方が強い。
(MSN産経ニュース3/11)
今回論じるのは、漆間氏の発言そのものではなく、彼を取り巻く記者クラブメディアのオフレコ懇談への対応の酷さだ。(..)
問題は、漆間氏のオフレコ懇談の環境が、「オフレコ」の条件をまったく満たしていないことにある。(..)
公人中の公人である権力側の「政府高官」のオフレコは、基本的には認められない。国民の税金で口を糊する権力者の発言は、政治利用の恐れがあるため、実名が原則だ。(..)
現在、米国の「政府高官」が匿名でのコメントを求めたら、ほとんどの記者が席を立って、その場からいなくなることだろう。なぜならば、政府高官の「オフレコ」がジャーナリズムの精神として許されないばかりか、仮に、取材済みの情報と重なってしまったら、それこそ信義上、記事にできなくなるからだ。(..)
ジャーナリズムの守るべき取材源は、相対的に、社会的な弱者である。強者の保護は限定されるべきではないか。だからこそ、政治家や権力者などの公人のコメントは、原則としてオフレコが解除されて当然だと考える。
(上杉隆/ダイヤモンド・オンライン3/13)