[ _e_x_h_a_l_e_ ]

apo (id:MANGAMEGAMONDO) が妄想を吐き出していきます。

グァテマラ日記(20)

偶然は、不思議なほど重なるからこそ偶然なのだ。

夕べはあのあと、「本日のおすすめ」+カブロ(Cabro/ビール。お気に入り)2本=33ケツァール(チップ込み)だったが、今日は70ケツァールのセビッチェを食べている。その違いは何かといえば、ここがアンティグア*1だからだ。このレストラン、ドン・ホセはこれだけ高い魚介類の店なのに、なぜ白ワインを置いてないんだろう? まだそれは我慢できる。でも置いてないビールをメニューに書くな。セビッチェ*2はセビッチェ好きのシルビアに食べさせてあげたいくらいおいしいけど。たしかにほかの街より本屋は充実しているのが、1軒は全部ビニ本状態でゲンナリした。写真集や画集ならわかるが、立ち読みできない本屋なんて、本屋の資格はない。結構、立派な酒屋(となぜかネットカフェも併設)では、貧乏パッカーが多いからってワインを買う客に何の挨拶もしないとはどういうことか? 京都だって、もっと愛想があるぞ。

とはいえ、別の本屋で念願の『ポップ・ヴフー(Pop Wuj)』が見つかり、『ツォルキン』*3も買えたのは幸運だった。『ポップ・ヴフー』はともかく、『ツォルキン』はサン・ホルヘが導いてくれた幸運だ。

サン・シモンとツィッテがつながった

今朝、パナハッチェルで、レセプションのセニョリータにチェックアウトの時間を確認してから、バスでサン・シモンがあるサン・ホルヘ・ラ・ラグーナという村に行った。バス停は峠の上にあり、村はそこから下っていく。バス停で「何を探しているの?」と声をかけてくれた男性に聞いたら、「サン・シモンなら教会のあたりで誰かに聞くといい。ここをまっすぐ降りれば教会だよ」と教えてもらう。

教えられたとおり、教会のそばで尋ねて、教えられたとおり、サン・シモンのコフラディアに着く。「アデランテ(どうぞ)」とうながされて入る。
「えー、入場料はおいくらですか?」
「ないよ」
「あのー、写真は?」
「いいよ」
「パジャッソ(煙草)を差し上げたいのですが?」
「いいよ、この箱にお布施を入れてね」
うそだー、入場フリー、写真フリーだなんて。キツネにつままれたような気がする。

ただし、ここのサン・シモンは顔をきれいなスカーフで隠してあって(そのうえから目があるであろうあたりに、メガネをかけている)、ガラスの扉のついたケースの中に花に埋め尽くされて入っている。年に1回の、セマナ・サンタ*4のときしか、顔を見ることはできないそうだ。煙草をあげると、コフラディアの人たちが、鍵のついた扉を開けて、専用の灰皿の上で、紫煙をくゆらせる。そして「もっと、そばに寄って見なさい」と促してくれる。

姿は見ることはできなかったが、サンティアゴ・アティトランのマシモン同様、ここのサン・シモンも木像だ。それは、パロ・デ・ピト(palo de pito/パイプの木)と呼ばれる木でできており、この木の花には幻覚作用があるという。その木のことを、聞くと女性が「この裏にあるわよ」。いっしょにいた男性も知らなかったらしく「本当か?」。「ええ、あるわよ。連れて行ってあげるわ」と案内してくれる。

「あんまり残ってないけど、ホラ、花もあるわ。これよ。で、こっちが実」。木を見て、驚いた。なんと、ツィッテの木じゃないか。これだったのか。女性によれば、今でもこの花は、サセルドーテがナチュラル・メディシンとして、とくに歯に問題があるとき用いるという。

「サセルドーテに興味があるなら、この村にもいるわよ。100ケツァールくらいで儀式もやってくれるし。ただ、使うものは全部、こちらで買って用意したいといけないけど。この村にはないけど、ソロラに行けば売ってるところがあるわ。会わせてあげようか?」とも、女性は言ってくれる。興味は十分にあったのだけど、アンティグアに着く時間もあったので、あきらめた。それにしても何て親切なんだろう。

展望台のサセルドーテ

親切な人々と別れを告げて、ここからのアティトラン湖が絶景だという展望台へ上がっていく。そしたら、そこで、2人のサセルドーテに出会った。ここまでで、見たサセルドーテ10人。大漁じゃないだろうか。

一人はたぶんバス待ちしてたんだろう。大きな箱を持って座ってた。いつもと同じ話(グァテマラは何日目だ、マヤ文明に興味があります、サセルドーテに会いに来ました、etc...)をしていたら「私もだよ」。そんなわけで話し込んでいたら、もう一人が散歩で通りかかり、話に参加してきた。バス待ちの人はサセルドーテ歴9年、散歩の人は同じく2年。二人とも別の仕事もしているけど、ほとんど毎日、クライアントが来るという。ちなみに散歩の人がサセルドーテになったのも、セニョーラ・ロドリゲスと同じく、病気がきっかけだったそうだ。大病をして、村の長老に儀式をされて、サセルドーテになるか、死ぬかを選ばされたという。「サセルドーテになるのに何年かかるの?」と聞いたら「人によるけど、少なくとも1年」と言っていた。

apoが自分の誕生日が何の日かを知りたい、といったら、近所に住んでるらしい散歩サセルドーテが「じゃあ、ちょっと待ってて」と言って、崖を降りていき、コピーの束を手に戻ってきた。
「生年月日は?」
19XX年2月22日」
「えっ! オレ、25日」
「えっ! オレも2月だよ」
「うわー、みんなフェリス・コンプレアニョス(誕生日オメデトー)!!」
とわいわい言いながら調べてくれたのが「8 AJMAQ(アハマック)」。「アハマックって何?」「ミツバチだよ」。平和的だなーと思って、家に帰ってから意味を調べたら「罪人の日」だった。

「この紙はどこで手に入れたのですか?」
「これは本のコピーなんだよ」
「なんていう本?」
「『ツォルキン』」
「どこで買えますか?」
「うーん、アメリカだろう」
「なんでー? なんでアメリカに??」
「さあね? とにかく、ここにはないんだよ」
「そっか、だから、モモステナンゴでもカレンダーがなかったのか」
「でも、アンティグアに行けばあるかもしれない。たしかそういう店が二つはある。ホテルでもどこでも知ってるはずだよ」

グァテマラではどこのご家庭でもマヤ暦が今も使われている、というのは、トーキョーの街をサムライが刀を差して歩いている、と同じくらいの歴史誤認だった。ツォルキン暦は、サセルドーテ・マヤしか使わない。もっとも「マヤン・カレンダー」というグレゴリオ暦の横に20のナワール*5がついてるカレンダーもあるにはある。それは、日本で六十干(甲子とか乙丑とか)がついてる暦があるのと同じ程度のもの。アメリカで売っているのは、文化人学的な資料として、で、グァテマラのフツーの本屋にはそれがない。

親切なサセルドーテ二人と別れて、パナまで戻り、満腹朝食*6を平らげてから、グァテ行きのバスに。グァテからバスを乗り継いで、アンティグアへやってきた。

コンベント・サン・カタリナ・マルティンに部屋を取って、写真を撮り撮り、街をブラついて、二人のサセルドーテのおかげで無事『ツォルキン』を手に入れることもできた。それだけではない、ホテルのはす向かいにあるでかいウイピル屋ニム・ポットに寄ったら、なんとサン・シモンが売られてた。それもたくさん。サイズもいろいろある。これって、、、売っていいのか? まあ、日本でも仏像とか売ってるわけだし。

そういうわけで、今朝の満腹の反省から、夜はセビッチェだけにしてみた。カブロもあればよかったけど、あんまり望みすぎたら、偶然の恩恵も消えちゃうかもしれないしね。

ホテルに戻って、レセプションの兄ちゃんに「テレビはあるけど、リモがないよー」と要求する。チェックインしたとき、このお兄ちゃんから「英語とスペイン語のどちらがよいですか?」と聞かれて「どっちでも同じよ」と答えたら、「それは素晴らしい*7」とか勘違いしてるので、「ハッハッハー、どっちも変わらないくらいヘボってことよー」とゲラゲラ笑ったのがいけなかったのか、兄ちゃんは「2泊は難しいかもしれません、あとでもう一度確認します」とか言うのだ。冷たいのう、と思ってたんだけど、今、帰ってきたら、「コントラドーラね、ハイハイ」と渡してくれながら、「明日もお泊まりいただけます」と言われた。apoはちょっとせき込みながら、「じゃあ、これから考えます、ありがとう」と、言って部屋に戻り、サッカーを観ながら眠ってしまい、今、午前2時だ。

眠る前までは「もう、明日チキムラに発つって決めちゃったんだもんねー」と思っていたが、やっぱりもう一泊しよう。何だか探したらもっといろいろ見つかるかもしれないし、1612年に建った修道院を改築したこのホテルのバスタブ付き+天蓋付きベッドの部屋も気に入った。それに2日連続で4時間以上バスにゆられるのは、どんなにバスの運ちゃん好きのapoとはいえ、ツライ。チキムラへ向かうにはグァテへ出なければいけないのだ。体力を付けなければ。

*1:アンティグア・グァテマラ/Antigua Guatemala。標高1530m/人口30000人。市の中心部の歴史地区は世界遺産になっている。街の南東、南西、西に火山がある。植民地時代は首都だったが、1773年に大震災に遭い、現在のグァテマラシティに遷都。グァテマラシティからバスで30分程度、空港からの直行バスもある。

*2:Cebiche/魚介のピリ辛マリネ。本場はペルー?だと思うけどたしかレモンベースのはず。でもグァテやメヒコではここにたっぷりトマトジュースを加えてあって、マリネというよりカクテルに近い。

*3:TzolkinまたはWaqxaqi 'B 'atz。結婚、婚約などの行事や儀式に欠かせないマヤの神聖暦。20の日(ナワール)が13回くり返される、260日周期。たとえば、20の日をA〜Tで表すと、1A、2B、3C、4D……と続く。13Mまできたら数字は13で終わりだから、その次の日は1Nになる。そこから2O、3P……と続いて7Tまで来ると、20の日の頭に帰って次は8Aになる。

*4:Semana Santa/聖週間/イースター/復活祭。3月ごろのカソリックのデカい祭り。

*5:nawal。キチェ語で叡智、スピリットを意味する。それぞれの日にシンボライズされている性格や傾向。

*6:デサユノ・カンペシーノ/Desayuno Campesino/田園風スタイルの朝食。メインはジャガイモ(グァテではバナナのこともある)、タマネギ、ハム入りのデカイ卵焼きにフリホーレスとトーストかトルティーヤ、コーヒー。でもメヒコのステーキ付き朝食、デサユノ・ランチェロ/Desayuno Rancheroよりは軽い。

*7:中米でのアメリカ人旅行客は、簡単なフレーズすらスペイン語を話さない人が多い。ことに観光地での彼らの態度には、グァテ人のみならず、apoまで何度か腹が立ったことがある。だからちょっとでもスペイン語を話すと、グァテマラ人でもメキシコ人でもかなり態度が変わる。もっとも、それはどこの国でも同じだろうけど。