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apo (id:MANGAMEGAMONDO) が妄想を吐き出していきます。

アナタとワタシを地獄送りにした誤審問題、再び

FIFAの創立100周年記念DVD「FIFA FEVER」の中に収録された、ワールドカップにおける10大誤審に対して、韓国が噛みついている。モリ男も8位と9位に登場している(ワリ喰ったほうで)。もう、こんなところで記録に残らなくてもよいに。(笑)

2002年6月。天国から地獄へ突き落とされたあのときの情緒不安定がフラッシュバックする。当時、apoはモリエンテスじゃなくて、ホルヘ・カンポスを愛していた。apoにサッカーを教えてくれた男がホルヘ・カンポスで、スペイン語を教えてくれたのはルイス・ミゲルだ。1998年にはカンポスのためにBSチューナー入りのテレビを買って、W杯アメリカ大会を観ていた。これが日本に来るんだ、と思っただけでワクワクだった。12月にチケット購入に失敗していたけど、4月に諦めていたカンポス(当時35歳)も代表に入ったことを知って本気になってゲットした。

幸せだった。毎日が熱狂だった、ホントに。徹夜で仕事をかたづけて、ビッグスワン、牛タン王国、温泉天国と駆けめぐった。その記録を書いたけれど、「決勝トーナメントへつづく」と書いたまま、続けられなかった。なぜなら、直視するには耐えられないことが多発したからだ。

あのときの、半狂乱になったラウールが忘れられない。その前のアイルランド戦は2002年ワールドカップにおけるapoのベストマッチといえる好勝負だったのだが、それで負傷して、スタメンから外れていた。ホアキンプジョルルイス・エンリケ兄貴も泣いていた。

それを前後して、トッティも、ジョアン・ピントも気が狂っていた。バイアだったかリカルドだったか思い出せない、ロスタイムに入る前から、ゴールを離れて攻撃参加していたGKの姿が今でも目に浮かぶ。全員がアポロンの化身ではないかと見まごうばかりだったアッズーリのために、地球が泣いた。

そんななかでモリエンテスはらしくもなく、審判に激しく抗議する主将のイエロに黄紙が出ることを心配して、二人の間に割って入った。試合後は、「もう、思い出したくない」と吐き捨てるようにインタビューに答えていた。まだ、強気だった。だけどモリエンテスにとって、これがこれから始まる地獄の序章だったとは、このときはまだ誰も知らない。

W杯後、物議を醸しながらロナウドの移籍が決まる。それから数か月して、サッカー雑誌にベンチ要員になったモリエンテスのインタビューが載った。「ラウールのパートナーはオレだけなんだ」(一人称はどうだったかよく覚えてない。それ以前に載った雑誌さえ覚えていない)。あの勝ち気なモリエンテスがこんなことを言うはずもない、と思いながら立ち読みした(買えよ)──モリエンテスは、あのときですら、狂わなかったし、諦めなかったのに。

2002年W杯誤審問題入りDVDの記事を読んで、こういうことすべてを一度に思い出してしまった。立ち直るのに、しばらくBGM:ルイス・ミゲルの日々が続きそう。明日のミラン×ローマ戦までに立ち直らなくては。