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apo (id:MANGAMEGAMONDO) が妄想を吐き出していきます。

寝言は寝てから言おうと思ったけど、気が変わった。

id:kmiuraさんのとこで紹介されていたid:solarさんのフリー関連の文を読んだ。文中に登場する毛利なにがしという人も平井なにがしという人も知らないけれど、このエライ方は

フリーランスとは、生活の術を少しだけ身に付けたフリーター

と、おっしゃる。アタクシもフリーランサー*1ですけど、そのアタクシを含め、フリーターと比べて生活の術が少しでも上だ、なんて胸を張れるフリーランサー、見たことがない。それどころか、昼夜逆転度にしても、宵越しの金は持たない度にしても、買い物狂い度にしても、昼酒指数にしても、引きこもり度にしても、フリーターのみなさんのほうがよほど身持ちはしっかりしてらっしゃる。第一、仕事がなければ、フリーランサーもフリーターもプータローで、家がなければホームレスだし。
さらにこのエライ方はフリーターを2階級に分けて、

下層フリーターは、平井が可能性を見る新宿の文化運動にも渋谷のサウンド・デモにも参加できないほどに文化的アクセスが制限されている

と、こうきた。なんだコレ「インディヘナは字が読めない」って言ってたのと同じじゃないか。でもインディヘナが字を読めたら困るのは、こう言ってる搾取するほう、体制側なのだ。この人らの場合はどうだろう。下層フリーターと、この人らが呼ぶグループの「文化的アクセスを制限」するように仕向けているのは、案外、この人ら自身じゃないの。

そもそもフリー(アルバイ)ターは自分の時間を販売しているのに対して、フリーランサーは仕事のデキを請け負う。だからフリーターは「何時まで」というお約束の時間のあとは拘束をとかれるのに対し、フリーランサーはある一定の品質で納品されるまでは拉致されたまんまだ。

その違いは、個人が追及している幸せのスタイルの違いによって選ばれる。毎日ギターを弾きたい人にとっては時間区切りが便利だし、まとめて1カ月、あるいはもっと休みたい人には仕事区切りが望ましい。

フリーターの上か下か、フリーランサーか、あるいは会社員かで“文化度”や“経済性”や“政治意識”のレベルは変わったりしない。だけど、こういう屁理屈をそれらと結びつけようとか、あるいは利用してやろうって魂胆が誰かにあるとすれば、それは、マジメに幸せを追求していないスキを突かれているんじゃないか、と思う。もっと真剣にどん欲に「自分にいちばん向いてる幸せのスタイルはどれか」を考えて、ちゃんと自覚してないと、こういうヘンチクリンな俺サマどもに、どんどん決めつけられてしまう。それは、この人らだけが悪いんじゃない。自分の幸せを他人任せ・組織任せにしがちな、こちらの怠慢、あるいは幸せへの無関心でもあるのではないだろうか。

……と、そこまで考えてつくづく「そうか、こんなことではいけなかった」と、悔い改めた。そうよ、今日からのアタクシは幸せ原理主義者。ちょと早いけど、もう寝ちゃおう。幸せ原理主義者的に優先すべきは、明日の締め切りじゃなくて、今の睡眠のはずだもの。

*1:ハイ、自己申告制ですよ。あなただって「ライター」とか「エディター」とか「イラストレーター」とか「デザイナー」とかの名刺を刷って人に会えば、今日から立派なフリーランサーです。